クロッキーのすすめ - デッサンや画材、表現について –

こんにちは、イラストレーションコース のオカモトです。

今回は「クロッキー」についてお話しさせていただこうと思います。というのも、長い間「クロッキー」セミナーを任されていて、それについて考えることが多々あったからなんです。 で、その前にデッサンについて少しお話ししておきますね。  
※このページの画像はセミナーに参加されている方のクロッキーになります(自分のも混じっています)

みなさんのクロッキー1

デッサンとは・・のお話し

高校生の頃に「デッサンのすすめ」(著者 伊藤廉)という本を買って通学の電車の中で読んでたのを覚えています。人を教える仕事に就いてから誰かにあげてしまいましたが、最近古書店で見つけてどんな内容だったか気になって買ってしまいました。表紙がダビンチの銀筆画(シルバーポイント)のものです。 この本はデッサンの仕方のような技法論的な内容ではなく、デッサンの発見といいますか、デッサンとは何かを書いている本です。また西洋の巨匠たちのデッサンについて文献の引用などで丹念に分析されています。

本の内容をずいぶん乱暴に要約すると、デッサンとは「絵を作るという作業にある規範を当てはめるという行為」、デッサンとは「絵作りの」・・あるいはある規範をもって絵を作ることだと思います。ローブロー(未現像)な状態でなく何かしら意図して現像していく作業であり、またその抽出でもあると言い換えることができるのではないでしょうか・・意識に上らせること、気付きです。その意味では幼児の描くスクリブルな絵にはデッサンがないと言えるかもしれませんが、どのくらいからデッサンが忍んで来るかは微妙な問題で、よくわからないというのが自分の思うところであります。デッサンの規範がパーソナルなものから社会性・言語性を帯びて来るからでしょうか。
「デッサンのすすめ」ではこのデッサンという言葉の言語ゲームの適応範囲がいささか限られているようです。

このようにデッサンの定義は平坦に説明するだけでは足りなくて、行為・分析・認識の繰り返しをどのように見るか、あるいは教えるかというアクチュアルな場面でより浮かび上がって来るのではないでしょうか。「デッサンのすすめ」の冒頭にマチスのデッサンの変化の図版がありますが、デッサン毎の思考錯誤の痕跡が時系列で浮かび上がってきていて、その方がデッサンとは何かを意識しやすいと思いました。

みなさんのクロッキー2

いつからかデッサンという言葉が一人歩きし、多くのイメージが付きまとい「デッサンができないと絵が描けない」と考えている方はご一読されてはいかがでしょうか? 自分なりのデッサンやその方法を考える機会になるかもしれません。

最近のデッサン志向は写実的に描くための手段としか見てないということもあるでしょう。あるいは日本独特の輸入されたアカデミズムのガラパゴス的解釈とか? 絵の良し悪しや単に上手い下手という価値観が上位にあるのは、当初の西洋との文化的格差によるものか、比較競争というまずい教育の成果、あるいは空気感・・マンガやアニメが劇画を超えフォトリアリズムやCG技術が幅を利かせていたりするのもひとつの要因でしょう。(写実絵画とフォトリアリズム・スーパーリアリズムの絵ではアプローチも描き方も若干違うと思います) デッサンを画力向上の訓練と見なすだけでなく、自分の作品制作にはどのようなデッサン工程を踏んでいるのかを見つめる必要があります。
そして、このデッサンの枠をあてがわれていない絵や立体などについては、ただ解っていない絵、下手な絵ということで済ましがちですが、原石があってこそのデッサンというのを知っておくのも大事かなと思います。
このことはクロッキーの方法論とも関連してくると思われるのです・・

みなさんのクロッキー3

クロッキーとは・・のお話し

さて、本題のクロッキーの話ですが、クロッキーとは短時間で行う人物等のスケッチですね。これはほぼデッサンほど難しい定義は必要なく受け入れられているかなと思います。短時間というのは数分くらいでしょうか・・。では、写真やイラストを見てのクロッキーはどうかというと、見たものを素早く描くという意味ではスケッチでありドローイングであり、クロッキーと呼んでも差し支えないと思います。

しかし、クロッキー教室とうたっているところは実際にモデルさんを用意しているので、そこでは写真を見て描くことは多分ないと思います。クロッキーアプリや写真を見てのクロッキーは練習になるかとよく聞かれますが、デッサンと同じく入力と出力の間にあれこれと思考・思惑を巡らすのであれば十分な練習にもなりますし、それもデッサンですしクロッキーになります。他方で、平面とそこにあるそのものの様には、単純に2次元と3次元以上の差があります。将来的に触れたりできるメタバースができれば別かもしれませんが、そこにある存在という次元はかなり厄介です。

アートスクールのクロッキーセミナーは、通学生であれば誰でも参加できる。実際の人物を見て描くクロッキーです。先生と生徒が順番にモデルになります。現在小学生から受験科の方、マンガコースの方、デッサン基礎科の方などあらゆるコースから参加されていて、いろいろな人物が描けます。そしてクロッキーに対する目的も志向も色々あるんですね。みなさんは雑談もする仲間ですが、それでも1mから3m近くで描くとなるとそれなりに緊張するものではないでしょうか。

よく実際のモデルを目の前にして描くことと写真を見て描くことの違いに、3次元のものを2次元に描くのと、2次元のものを2次元で描くという例えを耳にすることがありますが、実際は利き目であろうがなかろうが、網膜に写ったものを脳内で修正処理されていると思われるので、ふたつの2次元をひとつの2次元にするのが言い方として正解かもしれません。

しかし、見ると云うことは不思議なことです。
その昔、「絵は右脳で描け」とかいう本がありましたが(今でもありますよね)、それは左脳だけを頼るなということだと思うのですが、左脳右脳での処理が描画にどのように影響するかは知りたいですよね。右脳が活動していない人は内部が緻密だったり、写実的な絵になったりするそうですから、そう単純な話ではないのかもしれないです。
あと意識の問題! クロッキーなども楽器の演奏に似てて、無意識で行っている部分がほとんどで、バランスや寸法採りも実は無意識でやっていて、ほんのわずかだけが意識に登ってくるのかもしれないですね。上達には練習方法と鍛練ということでしょうか?・・頭がいたいです。

両目の視差については、2m以上離れればさほど気にする必要はなくなってきます。ちなみに自分の利き目は左目です・・

みなさんのクロッキー4

クロッキーのさまざま・・

ではクロッキーの目的ってなんでしょう?YouTubeやブログなどでクロッキーの話が目立っている場合はたいてい「画力向上」「訓練」的な話ではないでしょうか?イラストを描く場合の練習にと検索している方が多いせいだと思われます。

目的の前にクロッキーにどんな手法があるのでしょうか?目的と手法は同意義語でしょうか? 輪郭線で攻めてくる人、あたりを入れてから挑む人、その他、トーンやボリューム、タッチやデフォルメなど、おおよそ描くという行為の多くの組み合わせがあるでしょう。各パーツや動作のフォルムを描き慣れているマンガ家やイラストレーターさんは、クロッキーをフィギュアのように組み立てていくかもしれませんし、ファッションデザイナーならモデルをマヌカンのように記号化して描くでしょう。

描写力向上の訓練としてのクロッキーがある一方で、そのものを味わい深いものにするクロッキーもあります。対象から感じるものを即興で描き切ることができたとしたら、それは単なる訓練ではなく作品として見ることもできるでしょう。モディリアーニが酒場で描いていたポートレートも、作品として完成されたクロッキーと言えるのではないでしょうか。

みなさんのクロッキー5

それではクロッキーの実践について話をしてみましょう・・

いろいろな思惑はひとまず置いといて、まずは描いてみましょう!
1回のクロッキーの時間は短いので、あまり考えたり修正したり、こう演出してやろうなんて考えている暇はないかもしれません。なので、あなたの素の部分が露わになることでしょう。直前に見たものや描いていたものに影響されたりするかもしれませんね。
人物なら時間内に全身が描けるといいのですが、時間が足りないなと感じるなら運筆のスピードが限られている中では何かを省略したり簡素化してみる必要があります。あるいは比率などを計測する時間も少なくしないといけないかもしれませんね。それは無意識に処理する感覚を覚える・・ということになるでしょうか。 つまり失敗や描き損じを恐れていてはダメだってことですね。

場所決め・・

あなたは、目の前にモデルさんがいたらどの方向から描きたいですか?目線を合わせて描くのは大変かもしれませんね。自分の描きやすい方向というのがあるかもしれませんし、絵になる構図を見つけるのも楽しいですね。
セミナーでの場所取りは早い者勝ちですが、邪魔にならなければ移動しても大丈夫で、イーゼルを立てる方もいれば立ったり地面に座り込んで描くのも自由です。
視点が変わることで面白いフォルムを発見したり、より立体感を強調できることもあります。パース(透視図法)感を意識して描こうとする方は場所取りは大事ですね。
上手いと言われる人はけっして描きにくい方向を選んだりしないかもしれないです。

モデルとポージング・・

人物クロッキーの場合、モデルさんは非常にありがたい存在です。ポーズを考えたり何分間もじっとしてるのは大変ですから・・。短時間だからといって無理なポーズをしようものなら1分くらいで筋肉がぷるぷると震えてきたりします。でもそういう姿を描くのも醍醐味ですね。

描き手がモデルになった場合を考えてみると、目線が集中するので逆の緊張感があるかもしれません。モデルが緊張すると描き手にも緊張が伝わってきますね。ユニークなポーズをしようと考えていても、いざ自分の番が回ってくるといつもしているようなポーズになってしまうものです。
しかし、立ち姿や座り姿でなくひねったり寝転がったり、動きのあるポーズもチャレンジしてみたいですよね。特にアニメやマンガなどのキャラクターを真似たものは、アクションがあったりカメラの位置が特殊であったりするので、そういう風なポーズをして描いてもらいあとで見せてもらうのも楽しいのです。

そんな風にポーズを主体に考えると、人物のクロッキーとは、その対象の骨格や筋肉の緊張や緩み、動きや重心位置を素早く描き記すことと言えるかもしれませんね。ポーズにストーリーや意味を思い浮かべると楽しいものです。

みなさんのクロッキー6

あなたはどこから描き始めますか?

大作でも一筆目が緊張するかもしれないですが、クロッキーもどこから描き始めるか、ためらいながら描き出すかは人それぞれですね。
顔から描き始めるのが普通かもしれないですが、それはマンガを描くときの習慣か、頭から描くほうが体を連想しやすいからかもしれないです。だともうすでに観念(イメージ)が大いに活躍しているわけですね。では頭のどの部分からが描きやすいですか? マンガでも輪郭から描く人と目鼻などのパーツから描く人もいて面白いですね。
鏡か何かで逆さまに映った人物を描くとなると、どこから描いていいのか戸惑うかもしれません。自分は、頭を下げた人物の場合、背中(上にあるもの)から描くこともしばしばです。人を即物的に見ればそれは唯のモノになり、頭や手足などは関係なくどこからでも描き始められるでしょうけど・・

とりあえず紙の大きさには限界があるので、全身がはみ出ないように描くには、頭から描き始めるとするなら、大きさと位置を確認する必要があります。慣れないうちは余白が大きくなったり画面からはみ出したりすることもありますが、ちょっとの注意でなんとかなるものです。

みなさんのクロッキー7

線・ライン・・

そして、線を連ねていくわけですが、人によっては面でとらえながらクロッキーをする方もおられます。それでも境界線はあるので、どのようなライン(稜線)が見えているかは描写においても絵作りにおいても重要ですね。
一気に引かれた線は気持ちがいいものです。それをきっちり一周回って輪郭だけでフォルムを浮かび上がらせることができれば、ある意味芸当です。切り絵細工師にもなれるかもしれないですが、シルエットだけではつまらないですね。
目や鼻、髪の毛、服のシワなどにもラインを見つけられるでしょう、場合によってはアウトラインはスペースの境目というだけでなく、方向や重力、質感などボリューム(立体感)を確認・表現する手がかりとなります。限られた時間内に要所要所のラインを見つけ拾っていくのも楽しいと思います。

立体感と重さ・・

立体感といってもだまし絵のように飛び出してくる、あるいはそこに在るような、触れたくなるような描画をクロッキーに求めているわけではなく、逆にフラット化を目指しているクロッキーもあるかと思います。しかし、椅子に座っている人を描く時、椅子から浮いていいるように描いてしまっては困ってしまいますよね。また寝ている人を描いているつもりが飛んでる人になってしまうと問題です。

では何に気をつけていればよいのかということですが、基本的には測量・位置関係かなと思います。先にも言ったように精密な測量はクロッキーでは難しいので、重心位置や体重をかけている手足肩腰などの部分の緊張感を意識し、つなげていくという感覚でもよいかもしれないですね。頬杖をついているひとなら、顔を腕で支えている→首と肩の位置が変わる→肘から机に体重が伝わるという繋がりがわかっていれば描く上での手助けとなります。そのへんがしっかり描けていれば机や椅子を描かずとも人のフォルムだけでそれらが見えたりするものですね。

先にパースを当てがっておくという練習方法もよいかもしれません。モデルさんがぴったり入る立方体などの入れ物をまずとらえておいて、その中に描いていくという手法・・その空間の中での位置探しは輪郭線でのクロッキーとは違っていて、より立体感を出すためにある視野角によって入れ物を変形していくというデフォルメの技法が使いやすいのではないかと思います。

みなさんのクロッキー8

画材を変えてみよう・・

クロッキーにはいつも鉛筆を使っていますか?
自分はシャープペンシルを使うことが多いですが、太さや柔らかさなどはある程度好みで使い分けができますね。万年筆やパステル鉛筆などもよく使います。他に筆ペンやアートマーカーなども時々チャレンジしますがなかなか上手く操れないもんですね・・あれこれ試してみるので筆箱に入りきらないいろんな描画道具が机の中でひしめき合っています。

画材を変えると当然タッチが変わりますし、ストロークを変えるなどして描き方も変わるかもしれません。力強い線、ゆるい線、シャープで鋭い線、柔らかい鉛筆やパステルなどはこすってトーンを表現することもできます。トーンのエッヂで稜線やフォルムを浮かび上がらせるという手法も楽しいですね。

もちろん紙も大事です。とはいえクロッキーは一度にかなりの人数を描くので高価なものは使えません。手頃なクロッキー帳がよいでしょう。マルマンのものも数種類ありますが、落書き帳やわら半紙でも十分ですし、自分はもっぱらスクールのB4のコピー用紙です。裏紙を使う方も時々見かけますね。

紙の大小はクロッキーの様相をずいぶん変えます。F6以上のサイズになると腕全体を使った描き方になりますし、目線の移動も大きくなります。一歩離れて全体を見る必要がありますから、イーゼルが欲しくなりますね。

画材を変えるというのは気分を変えるだけでなく、新しい方法を見つけたり、お気に入りのやりかたを探すという意味合いがあります。線はそれだけクロッキーやデッサンにとって大事なものですね。

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表出と表現・・

線(ストローク)はそのクロッキーに表情を与えます。
先に書いたようにデッサンは在る程度の時間をかけて吟味していく作業であり、その過程の印でもありますが、クロッキーにももちろんデッサンの要素が入っているわけです。しかしあまりにも短い時間にひとつのもの(人またはその存在)を描くので、ある意味刹那的であり一期一会のものかもしれません。

つまりそこには描く者の姿勢が端的に表れるということでしょうか。
練習・企み・迷い・理想・興奮・後悔・征服・楽しみ・・いろいろな感情が入れ替わり立ち替わり現れるかもしれません。デッサンになる以前のモヤモヤした気持ちや確信になる以前のわけのわからない、ストーリー化・現像されていない感情の痕跡を見つけられたりできるかもしれませんね。
実際に対象の人物なりのフォルムをトレースしていくような描き方は単に技術的な問題しか孕んでいないように思えるのに対して、何らかの情感を表出・表現されたクロッキーには意味を感じたり描く者に背景があるように思えます。
それとは別に、はじめからストーリー仕立てのものはデザインといいますかある程度計画され意識された表現といってもいいかもしれません。

上手い下手というのは何をもってそういうのかは難しいのですが、何かに気が付いているかいないかということかもしれなくて、たとえ熟達している方でも何かに気が付いていないかもしれないし、わざと無視しているかもしれません(へたうま的な)。場合によっては気が付いていない方がおもしろいということも多々あります。これが何度も言う未現像な状態ですね。
おもしろいと言うのもまた、主観的なようでいて他者の価値観かもしれず難しいのですが、上手くしようとしていない、作為的でないといいますか、自分であれこれ考えすぎると段々とつまらなくなるのですね。なので拙い絵でも原石を見つけるとワクワクするということかもしれません。

みなさんのクロッキー10

クロッキーのすすめ

ここまでいろいろとデッサンやクロッキーについてお話しさせていただきました。
冒頭にも書いたようにクロッキーを長年やっているといろいろと考えることがあって、上手くなる方法はあるのかとか、クロッキーが何の役に立つのかとか、なぜ自分はこのような線を見つけそのように描いてしまうのかとか、そもそも他の人と自分では描くということが全く別の事象であるのではないかとか、すぐに考えることを止めてしまうような中2病にも似た思考を繰り返したりします。

それでもずっと続けているのは、上手く描くとか勉強とか方法論とか、そんな風な意味を多分あまり信用してなくて、その単なる行為がただ面白いだけなんだろうと思います。あるいはそのセミナーの場が自己満足的に楽しい時であるとか・・。

本スクールのクロッキーセミナーでは最後に希望者のみ公表的なものを行いますが、先につらつらと述べたように、こうしたらもっと上手く描けるとか、ここのバランスが悪いとか、そんなことを言ったり説明したりすることもあります。しかし、それはアカデミズム感を出すというか単なるジェスチャーでしかないのかもしれません。
それよりも他人のクロッキーを見る、その中に何かを見つける。そしてまた自分のクロッキーを見つめる。ただ上手い下手をくらべるのではなくいろいろな描き方(認識や出力の仕方)があるんだなぁと思う。そんなクロッキーの楽しみ方は教科書にはないだろうけど、その楽しみが上手くなるより大事なのではないでしょうか。もちろん自分のクロッキーを後で見返すと下手すぎてめまいがすることもしばしばですが・・(笑

ひとによってはいろいろと思惑があるでしょう。以前の自分よりは今の方が上手くありたいと思うのは普通のことです。上達する為に何か目標となるものを見つける、真似てみながらその秘密を探し出す、見本と模写の埋まらないその差異が、変えることのできない自分の持ち味であるのかもしれません。

クロッキーはただそれだけでおもしろいものです。クロッキーは一期一会ですので、できる機会があればぜひチャレンジしてみてくださいね。
下に自分のクロッキーの動画をリンクしました。よかったらご覧ください。
(YouTubeにまだいくつか掲載の予定です)

まだまだ話し足りないのですが、最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます!
また来年のあたまくらいにこのブログでお会いしましょう。(間に合えばですが・・)


P.S. セミナーの皆さん画像の提供をありがとうございました!








オカモトショ ーゾー

オカモトショーゾー
Profile
大阪府出身
Nordbrücke版画工房に従事しリトグラフを制作。
1982年大阪靭ギャラリーにて初個展。
造形教室を主催し、油彩や3DCG、
ペーパークラフト、フィギュアなどを制作。
大阪市都市協会ギャラリーにて優秀賞受賞。
ペパクラデザイナーコンテストにて最優秀賞受賞。
Message
変わらない大事なことも多いですが、
技術や流行は変化し流動的です。
同じく個人の世界も絶えず変化しているのでしょう。
そんな中でみなさんといっしょに表現するすべを
楽しくあるいは迷いながら発見し、
学んで行けたらと思っています。
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