TEACHER INTERVIEW

中田弘司講師インタビュー

中田弘司講師インタビュー

特集インタビュー第二弾は、デザイン科 絵本コース講師の中田弘司先生に、作家までの道のり、「絵本」の描き事、学び方、アートスクールでのご指導のことを伺いました。

「絵を描く仕事」をする為に、何をしましたか?

1988年、新神戸オリエンタルパークアベニュー 2Fフロア壁面

 1988年、新神戸オリエンタルパークアベニュー 2Fフロア壁面

絵を描く仕事には、作家として個人の表現を発信をする芸術、美術作品の制作とは別に、発注に応える仕事として、イラストやデザイン等の商業美術があります。ただ厳密には二分する事は難しい領域の仕事も多々あり、その領域にはダイナミックで社会に関わる面白い仕事もあります。私は今まで仕事の経験上、少し商業美術の側に立ってお話いたします。

 20歳でデザインの専門学校を出て、個人の事務所に入り込みました。そこは社長一人で写真もデザインも印刷手配もされていました。社長はとても良い方で、印刷業界ではめずらしく定時には終われましたが、なかなか思うような絵を描く仕事は、そこにはありませんでした。結局2年ほどお世話になり、丁稚として社会勉強と、絵を描くための貴重な猶予期間を過ごさせていただきました。その後は、仕事先の方々が新しく会社創立されたので、誘われてデザイナーとして就職し多様な仕事を経験させていただき、4年後にフリーランスとなりました。人の繋がりや「縁」によって仕事を続けられたと思います。

 学生の頃よりイラストは描いていましたが、絵を描く仕事につなぐ方法がわからず、働きだしてもコンペ等に送っては悶々として描き続けていました。バブル経済の最後の頃でもあり「メセナ」といって企業が資金を提供して文化、芸術活動を支援が活発になってきた頃だと思います。アカデミックな教育を受けなくても、「ヘタウマ」「ニューペインティング」といった技術に頼らずセンスで絵を描く事が、新しく価値のある事でしたので、田舎者の私はすっかり時代に感化されていました。それは大きな勘違いでもありましたが、同時に、その思い込みはエネルギーであり、今も続く絵に対する考え方の一つの指針となりました。

 当時は、心斎橋に「パルコ」があり、壁画のコンペがありました。それに応募受賞し制作後の打ち上げの際、「ピクチャー」というイラストに特化したギャラリーの方ともお話ができました。そこからの繋がりでも沢山の同時代の作品を見たり、作家さんと話す機会をいただきました。また、仕事が定時に終われたので、シルクスクリーンを習っていました。そこの教室は少人数でしたが、同世代の同じような状況の人間と仲良くなり、相方として「ピクチャー」で2人展を開催しました。その2人展はイラストの専門雑誌に紹介していただき、記事となりました。今度は、それを見た東京のギャラリーに呼んでいただき、東京でも2人展を開催しました。その頃には、このままイラストレーターになれると思い、相方と2人で更新される状況の中、それが「運」であると気づかずに有頂天になっていました。しかし現実は、ポツポツとイラストの仕事はありましたが、コンスタントに絵を描く仕事が発生するには、それからまだ10年ぐらいはかかりました。でも、その認められたという経験や、絵を見たお客さんが楽しんでくれたり、発注してくれた担当者に喜んでもらえた事等、人との繋がりの体験が、描き続ける核になっていると思います。

1983年、旧心斎橋パルコ北側壁面

1983年、旧心斎橋パルコ北側壁面

1986年、2人展オリジナル「記念撮影」

1986年、2人展オリジナル「記念撮影」

 ほんとうに「運」や「縁」はありがたいです。そして「運」や「縁」はグルグルと回っていて、順番があるようです。ただ、その法則や早さが見えないので迷ってしまいます。特に若い時は、焦燥感に駆られてしまいがちですが、順番が回ってきた時にどれだけ対応できるか、常に足踏みや筋トレをするように試行錯誤し、作品制作や発表をする必要があると思います。また発表する事で作品は一旦自分の手を離れ、客観視ができ新しいテーマを見つけたり、方向の修正ができます。続ける事で、個展も企画で出来るよう声をかけていただいたりもしました。世間のどこかには、誰か見てくれる方もいるようです。

 結果はすぐ出ない世界だと思いますが、描いているだけではその作品を誰も知る方法がないので、発信を続ける必要があります。つまり、絵を描く事以外にも「運」と「縁」を繋ぐ必要があり、それを考え続ける事も、絵を描く事と同様に必要だと思います。昔はネット環境がなく、情報が少ないので人と出会う事が貴重でした。今はSNSで会わないのに知っているつもりの友達が沢山でき、情報を選ぶの苦労しますが、発信の機会は増えてます。昔とは世間の状況も違いますが、それぞれが自分に与えられた条件の中、描き続ける為の時間、お金、場所、生活環境を整える事、そして一生のうちでほんの数年でも夢中に動く事が、良い結果に導いてくれると思います。

1990年、個展オリジナル「階下の犬が喜んでやっきて、少し困る」

1990年、個展オリジナル「階下の犬が喜んでやっきて、少し困る」

1999年、個展オリジナル「泥棒フクロウは月をつれて現れる。丸見え」

1999年、個展オリジナル「泥棒フクロウは月をつれて現れる。丸見え」

「絵本の定義」をどう考えますか?

 「絵が描かれた本」であり「絵本でしか表現できない構成」ならば、全てを絵本といってよいと思います。あやふな記憶ですが、亡くなったある落語家さんは、高座の上の座布団に片足でも着いていれば、立ち上がろうが、踊ろうが、どうしようが落語になると言われていたと記憶しています。それと同じように、「絵本」とは一つの形態を表す言葉なので「絵が描かれた本」と認識し、それのみを条件として、表現方法、モチーフ、内容等をどこまで自由になれるかが重要だと思います。また、同時に「絵本でしか表現できない構成」にする必要もあると思います。一枚絵が並んだ本は画集であり、文章と挿絵の関係になると読み物の本となり、そういう内容ならば絵本として制作する必要がないからです。

2001年、オリジナル絵本 発行:ART BOX インターナショナル

2001年、オリジナル絵本 発行:ART BOX インターナショナル

 また「絵本」にはいろんな要素があります。流通し収入の糧としての「商品」、しつけや学び、遊びの「教材」、癒しや覚醒の「芸術」、自分や身近な人の楽しみの「趣味」等、一冊の絵本の中にも、その要素はいろんな度合いで混ざり、多様な表情を持ちます。

 ただ、共通することは他者が読んではじめて完成するという事です。仕上がっただけの自己満足に終わらないために、他者とのコミュニュケーションが成り立つようには、読者をイメージした共通の認識が必要になります。読者に喜び、楽しさ、笑い、驚き、感動等を伝えられるか?その為には制作者の視線や想いが読者に向いている事が重要です。また、言葉では表現出来ない部分を絵で、絵で表現出来ない部分を言葉で、互いに補うように一体感が出ていればと良いと思います。

では「絵本の構成」の注意点はありますか?

 はい、チェックポイントとして

 □ 孤立したシーン、場面はないか(なくても、成り立つ場面を描いていないか)?
 □ 展開が、ご都合主義(つじつま合わせ)になっていないか(必然性のあるか)?
 □ 主人公の行動にリアリティ(現実感)はあるか(理由、筋は通っているか)?
 □ 言いたい事(メッセージ)は直接文章ではなく、ストーリーで語っているか?
 □ 常識人に理解してもらえるか(子供向けは子供の理解内に表現されているか)?
 □ セオリー通りになってしまっていないか?

 等、注意すべき点は多くあり、もちろんこれだけではありません。

 しかし、このチェックポイントもセオリー(ひとつの説、理論)なので、それを守る事は、常套手段(決まりきったいつものやり方)となり、どこかで見た事のある表現になってしまう場合があります。例えば、昔話でよくある展開例として、主人公が「繰り返し」A、B、Cと順々に何かに出会う場面があります。その「繰り返し」が、次に何が起きるかとワクワクするならば採用すればよいし、聞き飽きた感じになるならば採用しないというように、それは方法ではなく結果に対してどれだけ効果的なのかを考えるようにします。

 また、セオリーを守るという事は、減点方式の採点方法に対応した考え方です。そういう方法のみでも合格点を取れば優等生的ではありますが、絵本としては面白くはないかもしれません。絵本の価値は、加点方法で採点されると思います。つまり、どれだけ楽しいか、ビックリするか、何度も読み返したくなるか等、そういうことは、なかなかセオリー化は出来ない事です。ただし、アイデアが浮かんだとき、より良く伝えるためには、そのアイデアに反しないかぎりは、セオリーを守った方が伝えやすいと考えます。

 内容についても自由です。必ずしも、かわいい、楽しい、めでたしめでたしので終わる必要もなく、ひねくれている事や、悲しみや、怒っている等の負の感情であっても、その事を素直に表現し共感が得られれば面白くなります。たとえ個人的な経験、感覚でも深く考える事よって他者にも共感できるものに変換されているか?と、自分に問いながら制作し、自由を無知の言い訳にしないように気をつけます。

 ただし、理屈が勝ってしまい、頭でっかちな仕上がりではダメです。絵本はただの情報ではなく、触る事ができ体感する物体として認識し、声に出して読んでみて、ページをめくってを時間経過と共に画面の変化を楽しみ、気持ちの動きを感じ反芻し、物として所有欲が発生するかどうかも感じてみます。

2000年頃~、発行:ベネッセコーポレーション「こどもちゃれんじ」

2000年頃~、発行:ベネッセコーポレーション「こどもちゃれんじ」

2010年、発行:大阪都市工学センター 月刊誌「大阪人」

2010年、発行:大阪都市工学センター 月刊誌「大阪人」

「絵本の絵」の描き事、学び方はどうすればよいでしょうか?

 絵本を作りたいという意思が強く、最初の1冊目をグングン描かれる受講生方もいらっしゃいます。初期衝動としてのほとんどイメージが出来ている場合です。ただ、2冊目からは少し悩まれる場合も多いようです。つまり1冊目をつくる過程で、意識をして見る、知る、体験することが多くなり、今まで気ならなかった事に、気がつく事が多くなり、迷う事が増えてきます。

 アートスクールには学びの方法として「通信」と「通学」があります。「通信」ならば、課題を1枚目に描いたものを提出するのではなく、考えながら何度も描いて、納得した課題を提出して下さい。また添削が帰ってきたら、再度描いてみて下さい。また「通学」は時間帯を自由に設定できますが、絵を描く為の学びは教室での時間だけでなく、普段の生活から自分の周りに気を配って観察する事も役に立ちます。もちろん「通信」の方も同様です。

 忙しい生活の中、特別に時間をつくるのは難しいと思いますが、例えば本屋さんに行けば、買いたい本を探すだけでなく、店頭に並ぶ表紙の絵を見るだけでも発見があり、全体を見渡しすと今の流行のパターンが感じられると思います。意識を変えると、普段気づかない物が見えてきます。また、昼と夜の明るさ違いや、夏と冬の影の長さや光の強さの違い、そういう現実を改めて理解する事が、ファンタジーの世界を描く場合でも、リアリティのある世界を構成する要素となります。写真なようなリアル(現実)な絵を描かない童画の場合も、思い込みだけで描かない事がリアリティ(現実的)をもたらし、それが絵本の読者への納得感と繋がります。

2015年、発行:愛知県教育振興会 おはなし・あいちのでんせつ3「ゆうれい半鐘」

2015年、発行:愛知県教育振興会 おはなし・あいちのでんせつ3「ゆうれい半鐘」

 つまり、描く技術や画材の知識だけが、絵を仕上げる方法と思いがちですが、1.物を見ること、事を知ることで知識や情報を増やし、2.それらについて考えることでイメージし、3.最後に、やっと手を動かし描きます。そして、描いている時は画面を見ながら常に、色、形、線、を選び、決断を繰り返しの結果、絵が仕上がります。この繰り返しが創造です。なので本当に集中して絵を仕上げると、頭も体も使うので、とてもお腹が空きます。

 そして、ただ描くのではなく、考えながら沢山の「量」を描くことが「質」に変換します。たとえ失敗しても、それは新しい教材となります。なにが失敗なのか自分で理解することが、成功につながりますし、そこには発見と学びがあり、それがなければただの作業です。ただ、絵本の絵なので技術は大事ですが、あくまでもそれはイメージ、メッセージ、気持ちを伝える為の手段でもあるのです。また一枚絵ではないので、全体のページの流れの中で文字が入った状態の印刷物が完成形と認識し、そこから逆算して絵を仕上げる事も必要です。

最後に「講師」をどのような想いでされていますか?

 教室には未成年の方、他の仕事をしながらの方、子育てが一段落した方、お孫さんへの絵本をつくる方等、世代も環境も違う方が、それぞれの目的で通っていらっしゃいます。もちろん、楽しみのためだけに制作することも重要です。楽しんで制作された物は楽しさが伝わります。楽しみとは、お金や賞賛などの見返りがなくても、その時間にそれぞれに満足する事なので、本当はとても難しい事だと思います。達成感もそれぞれの方で尺度が違うからです。

 また、展覧会の開催やイベントへの参加、DMやチラシをつくる際のアドバイス等、必要があれば今までの仕事での経験をもとに、どうすれば効果的か一緒に考えます。そういう絵本の制作以外の行為は自分の作品を客観視でき、次の作品制作への句読点となり、自信につながります。

 クライアント、ユーザーに対して、何が必要か、どうすれば伝わるかを、常に考えて仕事をしてきました。同じように教室でも、個性の違う受講生一人一人に合わせて、何が必要か、どうすれば伝わるかを考えながら進めています。「講師」もまた、発注を受けて描く仕事のように「応える仕事」だと感じています。

中田 弘司 プロフィール
中田 弘司
制作事務所勤務デザイナーを経て、1989年よりフリーランス。
今までに幼児向け雑誌絵本等にて100話以上のお話の挿絵制作。
絵本をはじめ、「ビッグコミックオリジナル・増刊号」(小学館)表紙イラストや、
月刊誌「大阪人」にて歳時記や町歩きの画文の連載等、壁画からキャラクターまで多様な作品を制作。
東京・大阪・神戸にて個展多数。主な絵本に「ぷぅ」( 作:舟崎克彦/ポプラ社 )がある。