濱田有美講師インタビュー

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濱田講師はアートスクール絵本コースの元生徒さんでした。絵本コース在籍時は沢山のちぎった紙の破片からイメージしたものを絵で描き起こしていき、最後に絵の破片と破片を縫い合わせたコラージュ作品を制作していました。そんな平面作品がいつしか立体となり椿姫が誕生するまでのお話を聞きました。なんとそれまではスランプ続きだったとか…早速聞いてみましょう!!

―― どんな子供でしたか?
 物心ついた時から絵を描いたり作ったりすることが好きでした。気がつけば広告のチラシが身の周りにいつもあり、時間があれば裏紙に絵を描いてドンドン溜めて最後は本にしていました。おそらく屋根裏の物置部屋に今も残っていると思われます。今思えば、母が私の好きな事に気づいてチラシを捨てずに溜めていてくれたお陰ですので感謝です。

3歳の時にヤクルトのコップで作った初めての粘土工作「お雛様」

 絵以外でもアイスクリームの容器で虫の家を作り、小さい頃は虫を触るのも平気だったのでよく捕まえて自分のペットにしていました。
 それからかなりの空想好きでぬいぐるみや人形は生きていると思い込んでいました(笑 夜寝るときに人形を横に置いて瞬きする瞬間を見逃すまいと暗闇の中でずっと人形を監視したりしてました(笑 残念ですが、動いているところは見たことはありません。そんなこともあって小学6年生まで人形ごっこは続きました。
―― 物心ついた時から絵を描くことが好きだったそうですが特にキッカケはあったのですか??
 今でも深く記憶に残っているのが、保育園の時に描いた母の日にプレゼントした母の絵でした。
 保育園の頃はスカートの形を描くことがなぜか難しく描けませんでした。三角でも四角でもない形を把握することができなかったのです。上手くかけている友達の絵を横目に形を覚えて息を止めて一気に描きました(笑でも最後の最後で形がおかしくなってプリンの形のようになってしまったのですが自分の中では一番上手くかけた方だったので初めてスカートを描けた達成感がありました。思いを持って描き始めるようになったのは丁度その頃からです。

特選を受賞したユリの花

―― 美術の道を志そうと思われたのはいつからですか??
 中学三年生の時です。美術部に入って絵は好きでしたが、特に上手なグループに入っていたわけでもなく美大に進む考えはありませんでした。そんなある日、美術部の時間にユリが無性に描きたくなって、学校に唯一咲いていた一輪のユリを見つけて描いていたのですが、描くたびに枯れていって最後は無くなってしまいました。枯れゆくユリを忠実に描いていたので、完成した絵はどこか茶色がかって疲れきった寂し気なユリの姿になってしまいました。
 それが…何ともたまげたことに神戸の絵画コンクールで特選に選ばれたのです。初めての特選だったので嬉しくて会場に観に行きました。ですが私はその会場で更に別のショックを受けたのです。周りには私以上に上手い人が沢山いて比較になりませんでした。「なんで賞取れたんだろう??」と思うくらいにショックでした。でもそれでも選ばれたことに誇りを持ち、もっと踏み込みたいと思ったのがきっかけで美術科の高校進学を目指しました。
―― 親御さんから反対はありませんでしたか??
 私は美術しか得意科目がなかったので親はすごく応援してくれました。逆に祖父と祖母が猛反対でした(笑「就職に繋がらないし狭き門の世界に行くことはない!!」と言われました。おばあちゃん子だったのでショックでしたが美術の道を諦める気持ちはありませんでした。
 無事に美術の高校に入って卒業して美大に受かった時に初めておばあちゃんが手紙をくれました。「強い意志を持って頑張っているので感心しています」という内容でした。おばあちゃんは亡くなってしまいましたが、今でも手紙を財布に入れています。

高校3年生の卒業制作タイトル:「走れ!!」

―― スランプはありましたか??
 かなり長いスランプに陥りました。高校まではデッサンが上手い人=将来有望と思ってましたが、大学に入ると「ただ見たままを描いているだけではいけない」と突き付けられました。そこから何を描いて良いのか分からなくなり、結局卒業してもずっとスランプは続いて27歳の時にやっと抜けました!!
―― スランプの脱出法は何ですか??
 思い返すと小学校の図工の授業が一番楽しかったので図工に私の制作すべきものが隠されているのではないかと思い3年間小学校の図工教諭をしていました。
 図工は全ての子ども達ができるように手立てを考えないといけません。ただ白い紙を渡してスタートするのではなく、例えば色鉛筆を転ばせて行きながら模様を描いて「何に見える??」というところからがスタートなんです。作ることや描くことにはキッカケが必要だったのです。私はそれに気づかされて自分の表現法が見つかりまた制作がスタートしました。
図工を経て生まれた作品。
―― 現在の活動を教えてください。
 作家としてもう一度挑戦したい!!と思い立って図工教諭を辞めて一年間自分の作品と真剣に向き合いました。辞めてから更にめまぐるしく作風が変わって絵から立体になりました。

ワンダーシード2015で入選した作品


2015年制作 サボテンベアー

 そこでやっと「椿姫」が登場したのです。そこからこの椿姫を中心とした作品を持ってイベントに出た時に、観に来られたギャラリーのオーナーさんから個展の話を頂き、又そこから海外や東京のアートフェアにも出品させて頂けるようになり今に繋がっています。 安定された生活を断つのに迷いは一切ありませんでした。人生一度きりですので悔いのない人生をと思ってアーティストの道を選びました。今でも後悔はありません。まだまだ険しい道のりですが今が踏ん張りどころだと思っています。
 自分を信じるのも1つの才能だと私は思います。そして続けることです。

平面作品を経て2015年椿姫誕生

infinityjapanアートフェア(台北)
plus ultra アートフェア(東京)
―― ハンドメイド作家コースではどんな事を教えられてるんですか??
 私は粘土での制作を活かして、主に粘土の講師をしています。アートスクールは平面の得意な生徒さんが多いので、まずは絵を描いてもらい、その絵を基に粘土でフィギュア化させていきます。絵が描ける人は実は立体も得意な方が多いです。イメージする力があるので作り方を覚えられた生徒さんはどんどん上達しています。ハンドメイドイベントで生徒さんの作品が販売できたお話を聞くと凄く嬉しいです!!

2017年最新作

「吹き流し坊」

「サボテンガール」

「のし女」

2016年「シ・ヤン=プーさん」

―― アートスクールの生徒さんたちに最後にメッセージお願いします。
 制作は楽しいです!!でもツライです(笑ツライと感じているということは趣味を抜けたということです。自分の五感をフルに使って、自分が一番ワクワクする事を大事にしながら取り組むことで日々作品も進化していきます。きっと想像していないようなものがあなたの中に眠っています。絵筆はスコップのようなものです。描いて描いて奥底に眠っているものを掘り起こしてください☆

受賞・活動歴


2017年 ヤングアート台北出品予定

infinityjapanアートフェア台北

2016年 2016 plus ultra the artfair~ジ・アートフェア+プリュス・ウルトラ 参加
UNKNOWN ASIA参加 梅田ハービスホール(大阪)
九度山芸術祭参加 (和歌山)
あかマルシェ (大阪)
2015年 トーキョーワンダーシード公募2015入選 (東京)
あかマルシェ ギャラリー賞受賞 (大阪)
2014年 アートストリーム審査委員賞受賞 (大阪)

濱田 有美 プロフィール
濱田 有美

1987年 兵庫県神戸市出身
2006年美術科の高校を 卒業後、2010年京都造形芸術大学 洋画コース卒業。
2012年~2015年に小学校図工教諭を経験。その後、造形作家を志す。
2016年さすらいきものたちの命を生み出しながら制作活動中。
[個展]
2016年  「さすらいキャンプ」 Linksギャラリー(大阪)
[グループ展]
2016年  「the PARODY 展」KAZT芦屋 Division Art(芦屋)
     「the birthday」レクイエム工場アート 鶴身印刷工場(大阪)
2014年  「Illustration exhibition」RECTO VERSO GALLRY(東京)
     「POP JAPAN Vol.5」Me and art gallery(オーストラリア)
[受賞・活動歴]

2017年 ヤングアート台北出品予定
    infinityjapanアートフェア台北
2016年 UNKNOWN ASIA参加 梅田ハービスホール(大阪)
     くどやま芸術祭賞受賞
2015年  トーキョーワンダーシード公募2015入選 (東京)
2014年  アートストリーム審査委員賞受賞  (大阪)
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